芸能界には「学生時代にスポーツをやっていた」と公言するタレントが数多く存在します。そのため、ネット上や一部の視聴者の間では「和田正人も補欠で名前だけ残っていたのでは?」「記念出場の類ではないか」といった軽薄な推測が散見されることがありました。しかし、これらは明らかな誤解です。
彼が担当した箱根駅伝の9区は、走行距離が23.1kmと最長クラスであり、優勝争いやシード権争いが極限まで激化する勝負どころです。前を行く走者を追い、後ろから迫るライバルの影に怯えながら、単独走でペースを刻む強固な精神力が求められます。当時の日本大学は、留学生ランナーを含め全国から怪物級の選手が集まっていた黄金期。その大所帯をキャプテンとして統率した人間性と、2大会連続で区間5位にまとめた勝負強さは、現役の実業団選手や大学指導者からも高く評価されていた本物の記録です。
また、ネット上の一部では「怪我で陸上を諦めて役者を目指した」というストーリーが語られがちですが、これも正確ではありません。走る気力も実力も最高潮にあった青年の運命を狂わせたのは、自身の肉体ではなく、外部の社会構造の変化という不条理な出来事でした。