真宗大谷派とは?お西との違い・作法から教えの真相まで徹底解説

真宗大谷派とは?お西との違い・作法から教えの真相まで徹底解説

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なぜ本来一つであった本願寺が「お東」と「お西」に分かれたのか。その歴史的背景には、織田信長との10年に及ぶ石山合戦と、その後の徳川家康の天下統一策が深く関わっています。

石山合戦の際、信長との徹底抗戦を主張した第11代宗主・顕如の長男「教如(きょうにょ)」と、和睦を受け入れた三男「准如(じゅんにょ)」との間で内部対立が生じました。その後、関ヶ原の戦いを経て覇権を握った徳川家康が、強大すぎる本願寺の勢力を二分して弱体化を図る目的で、1602年に教如へ京都・烏丸六条の寺地を寄進しました。これが現在の「東本願寺(真宗大谷派)」の始まりであり、准如が継承した寺地が「西本願寺(浄土真宗本願寺派)」となりました。

教義の本質である親鸞聖人の「他力本願」は東西で一致していますが、歴史的分立を経て仏具の意匠、儀礼作法、本山組織の運営思想において明確な相違が定着しました。特に視覚的な違いとして挙げられるのが「本尊阿弥陀如来の光背」です。大谷派の掛軸や木像では後光から放たれる光明が6本で描かれているのに対し、本願寺派では8本となっています。また、仏壇に用いる具足も、大谷派は亀の上に鶴が乗る「鶴亀燭台」を正式とし、荘厳な真鍮細工が際立つ仕様になっています。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。