「自分の鼻で手首や服を嗅いでも無臭なのに、家族から指摘されてショックを受けた」というケースは後を絶ちません。自分の匂いに気づかない真相を探ると、そこには単なる不注意ではなく、人間の生存本能に直結した脳のシステムが存在します。最大の要因となっているのが、生理学で「嗅覚順応」と呼ばれる現象です。嗅覚疲労の理由は、鼻腔の奥にある嗅細胞と脳の大脳辺縁系が、同じ臭い分子(揮発性有機化合物)にさらされ続けることで、わずか3分から5分程度で神経伝達の感度を70%以上低下させてしまうことにあります。
もし人間が自分自身の体臭や皮膚ガスを24時間ずっと強く感知し続けていたら、煙の臭いや腐敗臭、有毒ガスといった「命に関わる外部の異変」を察知できなくなってしまいます。つまり、脳が意図的に自分のベース臭を「ノイズ」としてミュート(消音)処理しているため、いくらその場で服の襟元を引っ張って嗅いでも、正確な匂いを捉えることはできないのです。
さらに、空気力学的な盲点も見逃せません。人間の体温は36度から37度前後あり、衣服の内部で温められた空気は「上昇気流」となって首元や頭頂部から上へと抜けていきます。自分の鼻は下を向いて付いているため、背中や後頭部、ワキから立ち上る臭いの気流と絶妙にすれ違ってしまう構造になっています。これこそが、至近距離で向き合う他人や、後ろに立つ人にだけ臭いが届き、本人がまったく気づけない物理的なカラクリです。