華やかな表舞台の陰で、徹底した儀礼と安全管理が敷かれていたのが武家屋敷や江戸城・大奥のトイレです。将軍や御台所(将軍正室)が使用するトイレは、庶民のそれとは全く異なる特異な構造を持っていました。
大奥の要所に設けられた将軍専用の厠は、便器の下に深い穴が掘られているわけではありませんでした。床下に「樋箱(ひばこ)」と呼ばれる漆塗りの引き出し式木箱がセットされており、用を足すごとに床下から裏方の役人が箱を引き出して回収する構造になっていたのです。これには明確な理由が二つありました。
一つは「暗殺防止と防犯」です。便所の床下に敵や暗殺者が潜伏する隙間を一切排除するため、密閉された引き出し構造が採用されていました。用を足す際も護衛が廊下に控え、完全に無防備になる瞬間を極限まで減らしていたのです。
もう一つは「健康管理」です。将軍や御台所の排泄物は、専属の幕府医師(お匙)によって色、形状、臭気、未消化物の有無が毎日厳密に観察・記録されていました。排泄物は健康状態を測る最大の生体データであり、医師団はこれをもとに日々の献立や漢方薬の調合を決定していたと当時の奥医師の手記に記されています。
また、大奥の下級女中たちが使うトイレにも厳格なルールが存在しました。大奥の厠は常に清浄に保つことが義務付けられており、使用後は専用の柄杓で砂を撒いて汚物を覆い隠し、消臭のために香を焚くことが日常的な作法とされていました。用を足す際に出る音を消すため、水を流す音を模した「音消し」の器具が使われるなど、現代の擬音装置にも通じるプライバシーへの配慮がすでに実践されていたのです。