1911年(明治44年)10月4日、山口県山口市に生まれた日野原重明先生は、京都帝国大学医学部を卒業後の1941年に内科医として聖路加国際病院へ赴任しました。戦中・戦後の混乱期を経て、1951年には米国エモリー大学へ留学。そこで目の当たりにした最先端のアメリカ医学と患者本位のチーム医療システムは、その後の日本の医療改革における原点となりました。
帰国後の日野原先生が打ち出した施策は、当時の日本の常識を次々と打ち破るものでした。1954年には日本の民間病院として初めて「人間ドック」を開設。「病気になってから治す」ことが当たり前だった時代に、「未病の段階で防ぐ」という予防医学の概念を日本社会に定着させたのです。
さらに特筆すべきは、「成人病」と呼ばれていた慢性疾患群を「生活習慣病」と改名することを提唱した功績です。加齢による避けられない病気という諦めを排し、日々の生活習慣(食事、運動、休養、喫煙、飲酒など)を見直すことで予防・改善できるという当事者意識を国民に促す画期的なパラダイムシフトでした。この提唱は後に厚生省(現・厚生労働省)をも動かし、1996年には公的医療用語として正式採用されるに至っています。
また、日本におけるホスピス・緩和ケアの普及にも心血を注ぎ、1990年代には独立型ホスピス「ピースハウス病院」の設立や聖路加国際病院内での緩和ケア病棟の開設を主導。「痛みをとり、人間としての尊厳を保ちながら人生の最期を迎える」という全人的医療(トータルケア)の実践は、現在の終末期医療の標準モデルとなっています。