タイトルの「寝ても覚めても」という慣用句は、本来「起きているときも眠っているときも」「四六時中、常に」という一途な思いの深さを表す言葉です。しかし濱口竜介監督は、この言葉が持つロマンチックな響きを批評的に解体し、「夢を見ている状態(寝ている)」と「覚醒した現実(覚めている)」の残酷な往還としてフィルムに定着させました。
作中における麦は、まさに「眠りの中で見る夢」の象徴です。常識や責任感を持たず、突然現れては消える亡霊のような存在であり、朝子にとっての麦は現実の生活を破壊する甘美な悪夢に他なりません。それに対して亮平は、仕事に励み、家事を分担し、他者との関係を丁寧に紡ぐ「覚めた現実」そのものです。
朝子は麦という夢に囚われ続けながら、亮平という現実を生きていました。しかし麦の手を取って逃亡した瞬間、彼女は夢を現実にしようとしてその空虚さに直面します。タイトルの真意は、夢から覚めた朝子が、もはや都合のよいファンタジーに逃げ込むことなく、濁流のような現実を「綺麗」と肯定して生きていく覚醒のプロセスを示唆しています。