神田三崎町の歴史を紐解くと、武蔵野の台地が江戸湾へと落ち込むかつての海岸線「和田の三崎」へと行き着く。平安初期の清和天皇の御代、貞観年間に創祀されたと伝わるこの社は、江戸という巨大都市が形作られるはるか以前から、この土地の守り神として君臨していた。
江戸入府を果たした徳川家康は、この神社の霊威に深く着目した。家康は慶長年間に社地を神田山(現在の駿河台周辺)へと移遷させ、自ら参拝して「三崎」の扁額を奉納したと伝えられている。その後、江戸城の拡張や市街地整備の波に揉まれながら、万治年間に現在の地へと落ち着いた。かつて地形探訪番組『ブラタモリ』でも取り上げられ、『NHKオンデマンド』の過去アーカイブで江戸の都市構造の変遷を辿る歴史ファンの間でも、この場所は「都市の地層を読み解く要所」として語り継がれている。