1994年12月、東京・有明の東京ベイNKホールに集まった国会議員は214人。その光景はまさに圧巻だった。新生党、公明党の一部、日本新党、民社党、自由改革連合などが大同団結を果たし、新進党が産声を上げた瞬間である。
この合流劇の主筋を描いたのは、剛腕と称された小沢一郎だった。小沢は細川護煕内閣、羽田孜内閣の誕生と崩壊を経験し、バラバラな小党分立では強大な自民党に対抗できないと確信していた。そこで初代党首には自民党総裁・首相の経験を持つ海部俊樹を担ぎ出し、保守から中道、革新系までを飲み込む巨大な野党勢力を築き上げたのだ。
政策や理念の違いを棚上げにした「打倒・自民党」の呉越同舟。しかし、その力業こそが、後の激震を招く火種でもあった。