『火の国の女』が生まれた経緯には、坂本冬美という歌手の転換点を作ろうとした制作陣の綿密な戦略がありました。デビュー曲『あばれ太鼓』や続く『祝い酒』のメガヒットによって、当時の坂本冬美は「男唄」「元気な演歌歌手」というパブリックイメージが定着していました。しかし、作詞家のたかたかしと作曲家の猪俣公章は、彼女の内に秘められた女性特有の情念と叙情性を引き出すべく、新たな勝負曲の構想を練り上げたのです。
制作関係者の証言によると、たかたかしは熊本・阿蘇の雄大な自然とそこに息づく女性たちの気質を徹底的に取材し、火山の噴煙と女心の激しさを重ね合わせるプロットを構築しました。一方、師匠である猪俣公章は、弟子である坂本冬美に対し、それまでの明るく威勢のよい発声を封じ、低音の唸りと高音の切なさを極限まで往復させる難易度の高いメロディを書き下ろしました。
1991年4月26日のシングル発売に至るレコーディング現場では、猪俣公章による過酷な歌唱指導が連日繰り返され、坂本冬美は何度も涙を流しながらブースに立ち続けたと伝えられています。恩師の厳しい要求に応え抜いたことで、彼女のボーカルは職人技の域に達し、昭和から平成の演歌史に残る傑作が完成しました。