日本医療機能評価機構が公表しているヒヤリハット事例集や医療事故事例報告を分析すると、酸素供給の中断事故は「計算式を知らなかったから」起きているわけではありません。多くは、搬送時の業務負荷と心理的焦燥感がもたらす認知的狭窄(トンネルビジョン)が原因です。
現場看護師や救急隊員の手記・生の声から浮かび上がるのは、次のような過酷な現実です。
「患者のバイタル変動や点滴ルートの確保に気を取られ、ボンベの主弁を開けた直後は満タンに見えていた針が、実はわずか3 MPaだったことにエレベーターの中で気づいた」(急性期病棟勤務・看護師)
「ストレッチャー移動の揺れで流量計のダイヤルが隣の壁に触れ、設定流量が勝手に2Lから6Lへ跳ね上がっていた。搬送先に着いたときには残圧計がゼロを指していた」(救急救命士の手記より)
救急搬送酸素残量の管理において特にリスクが高いのは、搬送先病院の受入遅延(いわゆるベッド待ち時間)です。救急車内でストレッチャー固定のまま20分〜30分の待機を余儀なくされた際、車載配管酸素から携帯ボンベへの切り替えタイミングを誤り、残量計算上のマージンが消滅してしまうケースが後を絶ちません。
人間の認知機能は、危機的状況下で割り算の精度を劇的に低下させます。だからこそ、頭の中だけの暗算に頼らず、後述するルーチン化された手順やチェックリストの運用が必須となるのです。