Q1:シュピルマンが将校の前で実際に弾いた曲は映画と同じ「バラード第1番」ですか?
A1:映画では劇的なクライマックスを演出するため「バラード第1番 ト短調」が使われましたが、シュピルマン本人の自伝手記によると、実際に演奏したのはショパンの「夜想曲第20番 嬰ハ短調 遺作」でした。この曲は、1939年にドイツ軍の爆撃でラジオ局が被災した際に彼がスタジオで演奏していた曲そのものであり、実話における象徴的な円環を成しています。
Q2:シュピルマンの家族(両親・姉妹・弟)はその後どうなりましたか?
A2:残念ながら一人も生き残ることはできませんでした。1942年8月、シュピルマンだけが駅のプラットホームから引きずり出された直後、父、母、姉のレジーナとハリーナ、弟のヘンリクを乗せた列車はトレブリンカ強制収容所に直行し、到着後まもなく全員がガス室で命を奪われました。シュピルマンは戦後、生涯にわたって家族を失った深い喪失感と孤独を抱え続けました。
Q3:ホーゼンフェルト将校はなぜ敵であるシュピルマンを助けたのですか?
A3:ホーゼンフェルトは敬虔なキリスト教徒であり、以前からナチスの民族差別政策や虐殺行為に激しい嫌悪感を抱いていました。シュピルマンに出会う前にも、自らの権限を使って何十人ものポーランド人やユダヤ人を救済していました。ピアノの演奏を聴いて彼の並外れた才能と人間性を確信したことで、「この尊い才能と命を戦争の狂気から何としても守らねばならない」という強い倫理的使命感から支援を決意したとされています。
Q4:映画の公開後、現在の関係者や遺族はどうなっていますか?
A4:ウワディスワフ・シュピルマンは映画の完成を見届けることなく2000年に逝去しましたが、息子のアンジェイ・シュピルマン氏らが父の遺志を継ぎ、父の手記の再版やホーゼンフェルトの名誉回復運動に尽力しました。その結果、2009年にホーゼンフェルトはイスラエル政府から公式に「諸国民の中の正義の人」として認定され、両者の遺族は現在も友好的な交流を続けています。