1944年9月17日、米軍第81歩兵師団がアンガウル島へ上陸を開始。約1,200名の日本軍守備隊に対し、米軍は2万人を超える圧倒的な兵力と濃密な艦砲射撃、航空爆撃を浴びせました。この絶望的な戦況下で、舩坂弘の信じがたい伝説が幕を開けます。
戦闘初日、舩坂は擲弾筒を用いて米軍に大打撃を与えましたが、敵の集中砲火を浴びて左大腿部を裂傷。皮膚が垂れ下がるほどの激痛の中、自ら傷口に泥を塗り込み、包帯代わりに日章旗を巻き付けて戦闘を継続しました。その後も戦闘は続き、米軍の砲撃によって全身に無数の破片を浴び、計24箇所に及ぶ重傷を負います。
左足の手術も麻酔なしで行われる過酷な環境下で、傷口にはウジが湧く凄惨な状態でしたが、驚異的な自然治癒力で傷が塞がっていきました。部隊が壊滅状態に陥った10月、舩坂は自らの命と引き換えに敵司令部へ打撃を与える決意を固めます。手榴弾6発を身体に括り付け、拳銃1丁を手にして夜陰に乗じ、匍匐前進で米軍の警戒網を突破。3日間にわたり飲まず食わずで潜行し、米軍指揮所テント群のわずか20メートル手前まで肉薄しました。
しかし、突撃の直前に米軍兵士によって頸部を撃たれ昏倒。米軍側は舩坂の死を確認し、野戦病院の遺体安置所へ運び込みました。ところが、その3日後に舩坂は奇跡的に息を吹き返し、周囲の米軍軍医たちを驚天動地させました。担当した米軍軍医クレンペラー大尉らは、致命傷を負いながら生き続ける舩坂の強靭な精神力と肉体に深い敬意を払い、総力を挙げて治療を行いました。これが「不死身の生還」の医学的・歴史的真相です。