姫路獨協大学の現在を語る上で避けて通れないのが、長年にわたり模索されていた「公立大学法人化の断念」という事実です。1987年、姫路市が用地取得や施設整備費など多額の公費を投じ、学校法人獨協学園が開設を担う「公私協力方式」によって開学した同校は、設立経緯そのものが自治体と密接に結びついていました。それだけに、経営難に直面した同校の救済策として公立化が俎上に載ったのは、地域社会にとって極めて自然な流れに見えました。
しかし、自治体側が最終的に下した決断は姫路市による公立化の見送りでした。姫路市が設置した有識者検討会議の報告書や議会議事録を精査すると、公立化に踏み切れなかった明確な理由が浮き彫りになります。最大の障壁となったのは、少子化が加速する中での持続可能性に対する懸念です。市営化に伴い多額の公金(数十億円規模の施設改修費や年間数億円に及ぶ運営費交付金)を長期にわたり投じ続けることに対し、市民の納税者感覚としての合意形成が困難を極めました。
さらに決定打となったのが、大学経営の屋台骨であった姫路獨協大学の薬学部における募集停止です。2006年の薬学部6年制化に伴い全国で新設ラッシュが起きた結果、私立大学薬学部では定員割れと国家試験合格率の二極化が急速に進行しました。同校薬学部も志願者減少の波に抗えず、累積赤字の主要因となってしまったのです。市側としては「巨額の税金を投入して引き受けた直後に特定学部の破綻処理を迫られる」という財政リスクを回避せざるを得ませんでした。公立化を前提とした再建シナリオが崩壊した瞬間でした。