相撲界の歴史を振り返る上で、「井筒三兄弟」の存在を外すことはできません。父は「諸差し名人」と謳われた元関脇・鶴ヶ嶺。その父が率いる名門・井筒部屋へ、長男の福薗(のちの十両・鶴嶺山)、次男の昭男(逆鉾)、三男の節男(寺尾)が相次いで入門した光景は、昭和50年代から平成初期にかけて大きな社会現象となりました。
とりわけ次男の逆鉾と三男の寺尾は、幕内上位で長きにわたりライバルとして、また誰よりも理解し合える盟友として切磋琢磨しました。端正な顔立ちと鋭い突っ張りでアイドル的人気を誇った弟・寺尾に対し、兄の逆鉾はどっしりとした体躯と技術力で関脇の座を長く維持し、三兄弟の屋台骨として井筒部屋を支えました。
現役時代の支度部屋では、互いの取組結果に口を出すことはほとんどありませんでした。しかし、弟の取組をテレビモニター越しに鋭い眼差しで見つめる逆鉾の姿を、当時の取材陣は何度も目撃しています。後に寺尾(錣山親方)は自著や特別番組の回顧録で次のように語っています。
「兄貴は稽古場では誰よりも怖かったが、土俵の外では誰よりも私を守ってくれた。私が関取になれたのも、兄貴の背中をがむしゃらに追いかけたからだ」
時に激しくぶつかり合いながらも、根底にあったのは父から受け継いだ相撲道への誇りと、血を分けた肉親への深い敬意でした。この強固な兄弟の絆こそが、昭和から平成へと移り変わる激動の土俵で両者が輝き続けた最大の原動力でした。