藪入りとは?江戸の奉公人が年2日だけ帰省を許された理由と現代への系譜

藪入りとは?江戸の奉公人が年2日だけ帰省を許された理由と現代への系譜

藪入りとは?江戸の奉公人が年2日だけ帰省を許された理由と現代への系譜の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉で紐解きます。

藪入りという風習が定着するまでには、中世以前からの長い藪入りの歴史的経緯が存在します。もともとは商家に特化した習慣ではなく、室町時代から戦国時代にかけて、他家に嫁いだ新婦が実家へ一時的に戻る「里帰り」の風習が原型でした。江戸時代中期になり、大都市(江戸、大坂、京都)を中心に商工業が発達し、幼少期から住み込みで働く丁稚や小僧の階層が膨大に増加したことで、奉公人の帰省制度として定着・制度化しました。

気になる藪入りの語源については、民俗学や国語学において複数の有力説が存在し、古くから議論が重ねられています。インターネット上では面白おかしく脚色された俗説も散見されますが、信頼性の高い学説は主に以下の通りです。

  • 「宿入り(やどいり)」の転訛説:奉公人が自らの実家(宿元)へ帰ることを意味する「奉公人の宿入り」という言葉が、音便変化を起こして「やぶいり」へと変化したとする説。最も言語学的な整合性が高いと支持されています。
  • 「藪深い里」へ帰る説:江戸や大坂のような都市部の中心地に仕えていた奉公人たちの多くは、近郊の農村部や地方の出身でした。草木が生い茂る田舎や「藪深い里」へと帰っていく情景から「藪入り」と呼ばれるようになったという情景描写由来の説。
  • 養父(やぶ)入り説:かつて実家の父(実父)に対して、奉公先の主人を「養父」と見立て、養父のもとを離れて実家へ向かう、あるいは養父の家に戻る行為を指したとする説。
  • 「藪をかき分けるほど遠い」説:わずかな暇を得て、草木をかき分けながら急いで実家へ向かった奉公人の必死な姿に由来するという俗説。

地域による呼称の違いも顕著です。関東では広く「藪入り」と呼ばれたのに対し、上方(京都・大坂)では主に「オヤゲン(親見)」や「宿入り」と称されました。「親見」の名の通り、親の元気な顔を見に行くことそのものが制度の主目的として捉えられていたことが伺えます。九州地方など西日本の一部地域では「オイリ(御入り)」と呼ぶ例もあり、言葉の響きは異なれど、過酷な労働から解放されて肉親と対面する尊い日として日本全土に共有されていました。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。