大葉健二、最後のヒーローは静かに去った 昭和アクションの肉体が遺したもの

大葉健二、最後のヒーローは静かに去った 昭和アクションの肉体が遺したもの

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大葉健二の経歴を語る上で欠かせないのが、1972年に入団したジャパンアクションクラブ(現・ジャパンアクションエンタープライズ)での修行時代である。千葉真一が創設したこの養成機関で、大葉は空手や柔道、剣術など多岐にわたる身体技法を叩き込まれた。映画.comのプロフィール情報によると、72年の入団後、着実にキャリアを積み、スーツアクターから顔出し俳優へと転身していく。

若い頃の大葉は、その端正な顔立ちとしなやかな身体能力で、アクション俳優として頭角を現した。身長は公称170cm台。当時の特撮ヒーローとしては小柄な部類だったが、その分だけ機敏でキレのある動きが可能だった。特に、バック転や連続回し蹴りなど、現代のアクション俳優にも引けを取らない身体操作の精度は、JAC仕込みの賜物である。

彼のキャリアを時系列で整理すると、以下のようになる。

年代出来事・出演作役柄・ポジション編集部の見解・評価1972年ジャパンアクションクラブ(JAC)入団アクション研究生千葉真一直系の肉体訓練が彼の原点。1979年「バトルフィーバーJ」バトルケニヤ / 曙四郎戦隊初の「黒」担当。異色の存在感。1980年「電子戦隊デンジマン」デンジブルー / 青梅大五郎コミカルとシリアスの演技幅で人気獲得。1982年「宇宙刑事ギャバン」一条寺烈 / ギャバンメタルヒーローシリーズ第1作の主役。2000年代以降イベント会社「ラックジェット」設立代表取締役・演出家アクション指導と後進育成に注力。
清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。