下関のふぐが日本一の理由とは?歴史的解禁の真相と2026年最新相場

下関のふぐが日本一の理由とは?歴史的解禁の真相と2026年最新相場

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下関とふぐの深い結びつきを語る上で欠かせないのが、明治時代に起きた劇的な歴史の転換点です。安土桃山時代、豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に発令した「河豚食禁止令」以降、武士や庶民の間でふぐを食すことは長らく厳罰の対象とされていました。この禁令を約300年ぶりに打ち破ったのが、初代内閣総理大臣の伊藤博文です。

1888年(明治21年)、下関を訪れた伊藤博文が老舗割烹旅館「春帆楼」に宿泊した際、折悪しく海は大しけに見舞われ、料理人は出す魚を失いました。打ち首を覚悟の上で女将が提供したのが、当時禁制品であったふぐの刺身でした。その圧倒的な旨味と繊細な食感に感嘆した伊藤博文は、その場で山口県令(現在の知事)に命じ、全国に先駆けて山口県下でのふぐ食を公に解禁させたのです。これにより、春帆楼は「ふぐ料理公認第一号店」となり、下関が日本のふぐ文化発祥の地として歴史に刻まれることになりました。

また、下関をはじめとする西日本の一部地域では、ふぐを濁らずに「ふく」と呼ぶ伝統が受け継がれています。これには明確な理由があり、「ふぐ」という響きが「不遇」や「不具」といった不吉な言葉を連想させるのに対し、「ふく」は「福(幸福)」に通じる縁起物として歓迎されたためです。地元漁師や商人たちの商売繁盛と安全を願う粋な心理が、今なお愛される呼称の由来となっています。

さらに流通面において、下関市にある南風泊(はえどまり)市場の存在を無視することはできません。日本唯一のふぐ専門卸売市場である南風泊市場には、全国の天然・養殖トラフグの約7〜8割が一堂に集積します。独特の黒い布袋の中に手を入れて指の握り方で価格を決める伝統の「袋競り(ふくろぜり)」や、毒を持つ部位を素早く完璧に処理する「身欠き(みがき)」の高度な技術集約こそが、下関が単なる産地を超えて「世界のふぐ首都」と呼ばれる真の理由です。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。