SNSやネット掲示板の論争で頻繁に見受けられるのが、「国のため、公序良俗のためなのだから個人の権利は制限されて当然だ」という主張です。しかし、これは日本国憲法が想定する公共の福祉の解釈として致命的な誤解を含んでいます。
法学の歴史において、かつては「一元的外在制約説」と呼ばれる立場が存在しました。これは、国家の存立や社会全体の秩序といった「外側にある公の目的」のために、人権を包括的に制約できるとする考え方です。しかしこの発想は、戦前の大日本帝国憲法下で「法律の留保(法律の範囲内でのみ権利を認める)」が悪用され、国家権力によって人権が骨抜きにされた反省を呼び起こしました。
そこで戦後の憲法学において確立されたのが「一元的内在制約説(単に内在的制約説とも呼ばれる)」です。この学説の経緯と理論構成は、憲法学者の故・宮沢俊義氏や芦部信喜氏らによって洗練されました。その骨子は以下の通りです。
「人権は国家権力によって与えられたものではなく、人間であることに基づいて生まれながらに有するもの(固有性・不可侵性)。したがって、人権の外側から国益という抽象的な理由で人権を切り縮めることは許されない。許されるのは、他者の人権との衝突を解消するための『論理的必然性のある調整』に限られる」
つまり、「お国のために個人を犠牲にする」という全体主義的な発想は、現行憲法下の公共の福祉では明確に否定されています。あくまで「他者の実質的な人権を守るために、自分の人権をどの程度譲歩すべきか」という相互尊重の枠組みでなければなりません。この決定的な違いを見落とすと、権力による不当な言論統制や行動制限を無警戒に容認してしまうリスクにつながります。