山田天陽という青年には、明確な実在モデルが存在します。戦後の北海道・十勝(鹿追町)の大地に生き、32歳という若さで夭折した実在の洋画家・神田日勝(かんだ にっしょう / 1937〜1970年)です。
神田日勝は東京・練馬に生まれ、太平洋戦争末期の1945年、戦火を逃れるため一家で北海道十勝の原野に入植しました。過酷を極める開墾生活のなかで独学で油絵を学び、高価なカンバスの代わりに建築資材であるベニヤ板を用い、ペインティングナイフで荒削りに絵具を重ねる独特のリアリズム絵画を確立。1970年8月、全身の激痛を伴う「腎盂腎炎(じんうじんえん)による敗血症・腹膜炎」を発症し、病院のアトリエで未完の馬の油彩画を残して世を去りました。
ドラマにおける山田天陽の設定と、史実の神田日勝にはどのような共通点と相違点があったのか。客観的な記録データからその詳細を照合・比較します。
脚本を手掛けた大森寿美男は、神田日勝が残した「農民が絵を描くのではなく、画家が農業をやっているのだ」という実在の手記に強い感銘を受け、天陽というキャラクターを造形しました。ドラマで天陽が遺した作品群は、鹿追町にある神田日勝記念美術館の全面協力のもと、専属の画家が日勝の筆致を極限まで研究して再現したものです。