現代の日本人が「第2位は霞ヶ浦」と疑いなく認識している事実の裏には、昭和の国土開発史が刻んだ劇的な変遷が隠されています。実は戦前の日本において、琵琶湖に次ぐ面積第2位の座に君臨していたのは、秋田県に位置していた八郎潟でした。
当時の八郎潟は約220km²の湖底面積を誇り、現在の霞ヶ浦本湖を上回る威容を誇っていました。しかし戦後の深刻な食糧難を克服するため、1957年から始まった国家プロジェクト「八郎潟干拓事業」により、湖の実に約8割にあたる172km²が干拓され、新生の大地「大潟村」へと生まれ変わったのです。残された水域の面積は約27.7km²まで激減し、ランキング上位から姿を消しました。
この大規模な地形改変の結果として、繰り上がる形で第2位の地位を確固たるものにしたのが霞ヶ浦です。霞ヶ浦 2位 理由を探ると、単なる自然の営みだけではなく、戦後日本の復興と農業政策という人間社会の歩みが深く刻まれていることが分かります。
さらに霞ヶ浦という名称の定義にも特有の構造があります。河川法上、霞ヶ浦とは「西浦」「北浦」「外浪逆浦(そとなさかうら)」などを統括した指定水域を指します。一般的に「霞ヶ浦」として親しまれる西浦単体では約168km²ですが、水域全体を包括すると約220km²に達し、3位のサロマ湖を大きく引き離すことになります。