天草五橋ドライブの真相とは?混雑を避ける絶景穴場ルートをプロが徹底解説

天草五橋ドライブの真相とは?混雑を避ける絶景穴場ルートをプロが徹底解説

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天草五橋の歴史を紐解くと、そこには昭和の土木史に残る熱き情熱と執念のドラマが存在します。架橋が実現する以前、天草諸島は本土との交通を船のみに頼る完全な離島でした。台風や濃霧が発生すれば航路は途絶し、急患の搬送遅延によって命を落とす島民も少なくありませんでした。この過酷な「離島苦」を打ち破るべく立ち上がったのが、当時の大矢野町長や熊本県議を歴任した森慈秀(もり じしゅう)氏です。

森氏が1936年に初めて提唱した「天草架橋構想」は、当初「狂気の沙汰」「島を海に沈める気か」と猛烈な批判と嘲笑に晒されました。海流が速く水深の深い海峡に5つもの長大橋を連続して架ける技術は、当時の日本には前例がなかったためです。しかし、森氏は住民の署名を集め、自著や特番インタビューでも語られた通り「天草の未来は本土と繋がる道にしかない」という信念を曲げず、国や関係各所へ粘り強い陳情を続けました。

熊本県公式資料や日本道路公団の建設記録によると、1962年に着工した工事には当時の最先端技術が結集され、1966年9月24日についに天草五橋が開通しました。総事業費約43億5,000万円、延べ220万人以上が携わった大事業でした。

特筆すべきは、その通行料金無料化の経緯です。日本道路公団の有料道路として供用が開始された天草五橋は、当初30年間の料金徴収期間を予定していました。しかし、開通直後から全国から観光客が殺到し、当初予測を大幅に上回る交通量を記録。その結果、開通からわずか9年目となる1975年8月に建設費の償還を完了し、全国の長大有料道路としては異例の早さで全面無料開放されました。この早期無料化が、現在の天草エリアの観光・物流の発展を決定づける礎となったのです。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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