高校へ進学した矢沢永吉は、勉学よりも日々の生活費と楽器代を稼ぐための過酷な労働に追われていました。授業が終わると、牛乳配達、コックの見習い、ペンキ塗り、船着き場の荷揚げなど、あらゆるアルバイトに奔走。寝る間を惜しんで働いて貯めた資金で、念願のエレキギターとアンプを手に入れます。
当時の同級生や近隣住民の証言によると、高校時代の矢沢はリーゼントに身を包み、鋭い眼光を放つ一方で、音楽に対しては驚くほど真摯かつ禁欲的でした。放課後は仲間と結成したバンド「ザ・ベース」の練習に没頭。広島市内のダンスホールや米軍基地キャンプのステージに潜り込んでは、荒削りながらも圧倒的な声量とリズム感で観客を圧倒していました。
当時の高校生といえば、フォークソングやグループサウンズを嗜むのが一般的でしたが、矢沢が見据えていたのは本場の骨太なロックンロールでした。学園祭で披露したステージでは、既成の枠に収まらない激しいパフォーマンスを繰り広げ、教師たちを当惑させる一方で、生徒たちの間ではカリスマ的な熱狂を巻き起こしたと語り継がれています。