事件発生直後から世間が最も首を傾げ、激しい議論を巻き起こしたのが「香田証生 なぜ行ったのか」という根本的な疑問です。ジャーナリストとして戦場の実態を告発する使命を帯びていたわけでもなく、NGO職員として過酷な人道支援に身を捧げていたわけでもない彼が、なぜ世界で最も危険な地帯へ足を踏み入れたのでしょうか。
生前の足取りをたどると、高校中退後に塗装業などで資金を貯め、ニュージーランドへのワーキングホリデーを皮切りにアジアや中東を巡っていた生粋のバックパッカーでした。当時の旅行仲間やヨルダン・アンマンの安宿で彼と直前に接した旅行者の証言によると、渡航理由の真相はきわめて素朴かつ衝動的なものでした。
関係者への取材記録によると、アンマンのホテルで香田さんは周囲の日本人旅行者に対し、「イラクで実際に何が起きているのか、自分の目で見てみたい」「本当の戦場を見て肌で感じたい」と語っていました。当時、滞在費が底をつきかけていたにもかかわらず、危険を顧みずアンマン発バグダッド行きの乗り合いバスに乗り込んでしまった事実が確認されています。
ホテル経営者や居合わせたバックパッカーたちは、「今イラクに入れば確実に殺されるか捕まる」「外務省の退避勧告が出ている」と猛烈に引き止めました。しかし香田さんは「自分はクリスチャンだから大丈夫」「何も悪いことをしていない一般人だから攻撃される理由がない」と笑って手を振り、制止を振り切って国境を越えてしまったのです。そこには、国際紛争の凄惨さに対する圧倒的な無知と、「自分だけは例外である」と思い込む致命的なリスク認識の欠如が存在していました。