名門一族の御曹司として何不自由ない環境に生まれながら、なぜ彼は過酷な芸能界の道を選んだのでしょうか。そのキャリアの裏には、恵まれた境遇ゆえの重圧と、自らのアイデンティティを懸けた壮絶な決断がありました。
岩田は小学校時代から家庭教師をつけて猛勉強に励み、愛知から上京して慶應義塾普通部(中学校)に合格。以降、慶應義塾志木高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業するという絵に描いたようなエリートコースを歩みました。教育熱心だった母親は、彼の中学進学に合わせてともに上京し、生活を全面的にサポートしていたことが自著やインタビューでも明かされています。
大学時代にKRUMP(クランプ)ダンスと出会ったことで人生は一変します。就職活動では誰もが知る超一流大手企業から内定を獲得していたものの、ダンスへの情熱を断ち切れず、三代目 J SOUL BROTHERSのオーディションに挑戦。合格を果たした際、内定をすべて辞退してパフォーマーとして生きる決意を両親に告げました。
当時の特番インタビューにおいて、彼は「内定辞退を報告した瞬間、母親がその場に泣き崩れた」という切痛な記憶を語っています。幼少期から英才教育を施し、安定した将来を願っていた母親にとって、海のものとも山のものともつかないダンサーという職業は受け入れがたい衝撃でした。父親からも数年間にわたり冷淡な視線を浴びせられた時期がありましたが、岩田は「結果を出すことでしか証明できない」と腹を括り、退路を断ってレッスンに明け暮れました。