イイモリストーンの生みの親である飯盛里安博士(1885–1982)は、日本の放射化学および分析化学の草分け的存在です。理化学研究所の設立初期から主任研究員を務め、放射性鉱物の分析や蛍光物質の研究において数々の金字塔を打ち立てました。戦後、長野県に設立した「飯盛研究所」で息子・飯盛武夫氏らとともに本格的な人工結晶の合成に着手します。
当時、世界中で作られていた人造宝石の多くは、ベルヌーイ法などによる単なる合成ルビーやガラス模造品に過ぎませんでした。これに対し、飯盛博士が目指したのは「天然石の模倣を超えた、天然石以上に美しい結晶組織の創造」でした。10数種類に及ぶ鉱物原料を精密に調合し、超高温で溶融させた後、特殊な高圧容器内で数ヶ月にわたり結晶を徐々に晶出・成長させるという、極めて高度な物理化学プロセスを開拓したのです。
こうして1960年代初頭に誕生した結晶体は、欧米のバイヤーから絶賛を浴びました。「人工的にこれほど精緻な結晶パターンを作り出せる技術は世界に類を見ない」と評され、主に海外輸出向けに供給が開始されました。