『天城越え』の歌詞解釈において、もっとも聴く者の心を揺さぶり、時に恐怖すら抱かせるのが、サビの直前で叩きつけられる「誰かに盗られる くらいなら あなたを 殺していいですか」という強烈な一節です。
このフレーズの真意について、吉岡治は「単なる物騒な脅迫や物理的な殺人の示唆ではない」と明確に語っています。これは、道ならぬ恋や許されない逢瀬の中で、男がいつか日常(本妻や別の世界)へと帰ってしまうことを知っている女が、別れの恐怖に直面した瞬間に漏らす「究極の独占欲の叫び」なのです。
心理学および精神分析の観点からこの歌詞を読み解くと、精神医学者ジークムント・フロイトが提唱した「エロス(生の衝動・性愛)」と「タナトス(死の衝動・破壊)」の完全なる融合が見て取れます。相手と精神的にも肉体的にも完全に一体化したいと願うあまり、現世の物理的な境界線を壊して「死の中で永遠にひとつになりたい」という破滅的欲動です。
また、現代の臨床心理学で論じられる「極度の境界性パーソナリティ心理」や「破滅的共依存」の構造も鮮やかに映し出されています。「誰かに盗られる」という見捨てられ不安が頂点に達したとき、人間は相手を破壊することでしか自己の存在証明や関係性の永遠性を保てなくなります。吉岡治の筆致は、病的な執着の暗部を、息をのむほど優美で格調高い文学的表現へと昇華させている点が極めて秀逸です。