「令月」という言葉が一躍脚光を浴びた最大の契機は、元号「令和」の制定です。それまでの元号が中国の四書五経など漢籍を出典としていたのに対し、令和は日本現存最古の歌集である『万葉集』巻五から初めて選ばれました。
典拠となったのは、奈良時代の貴族・歌人である大伴旅人が大宰府の自邸で催した「梅花の宴(ばいかのえん)」に際して記された「梅花の歌三十二首」の漢文序文です。
「初春令月、気淑風和(初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす)」
この一節は、「新春の良きめでたい月に、空気は清らかで風は柔らかく、梅は美女の白粉のように白く咲き誇り、蘭は身を飾る香袋のように香っている」という、厳しい冬を乗り越えて春を迎えた歓びと自然の調和を鮮やかに描写しています。
令和の名づけの理由には、「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が明日への希望とともにそれぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたい」という願いが込められています。