サンタマリア号沈没の真相と大阪港クルーズ2026最新ガイド

サンタマリア号沈没の真相と大阪港クルーズ2026最新ガイド

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1492年8月、スペインのパロス港を出航した船団は、旗艦サンタマリア号、僚船であるニーニャ号、そしてピンタ号の計3隻で構成されていました。このうちサンタマリア号は「ナオ船(キャラック船)」と呼ばれる頑丈で積載能力に優れた船型でしたが、機動性に富むキャラベル船のニーニャ号やピンタ号に比べると小回りが利かず、浅瀬の多い海域の航行には不向きな構造を抱えていました。

悲劇が起きたのは同年12月24日深夜から25日のクリスマスの未明です。現在のハイチ沿岸(イスパニョーラ島沖)を航行中、祝宴の疲労から船長と乗組員の多くが眠りに落ち、当直責任者すら舵を年少の見習い水夫に任せて就寝してしまいました。その結果、潮流に流された船体はサンゴ礁へ激しく座礁。浸水が急速に進んだことで航行不能に陥ったのです。

船主兼船長であったフアン・デ・ラ・コサとコロンブスの間には激しい意見対立が生じましたが、船体のサルベージは不可能と判断されました。コロンブスは船体を解体して木材を陸海へ運び出し、新世界最初の拠点となる「ラ・ナビダ(降誕)要塞」を建設する資材として再利用しました。これが歴史上記録されたサンタマリア号の沈没理由の真実です。

近年では、海底探査チームによる残骸発見のニュースが世界的な注目を集めました。2014年に米国の探検家バリー・クリフォード氏が「サンタマリア号の残骸を特定した」と発表したものの、その後のユネスコ(UNESCO)調査団による精密な合同調査によって、発見された遺留物の金属留め具が17世紀後半から18世紀のものであると判明し、公式に否定された経緯があります。現在もカリブ海の海底深く、本物の痕跡を巡る調査が続けられています。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。