三・一運動の真相に迫る!高宗急死の謎と教科書が語らない歴史の裏側

三・一運動の真相に迫る!高宗急死の謎と教科書が語らない歴史の裏側

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国葬の2日前にあたる1919年3月1日午後2時、京城のパゴダ公園(現・タプコル公園)に数千人の学生と市民が集結しました。天道教・キリスト教・仏教の指導者からなる「民族代表33人」は、衝突を避けるため料理店「泰和館」に集まり独立宣言書を読み上げたのち自首しましたが、公園では学生代表が壇上に立ち、堂々と宣言文を朗読しました。

「吾らはここに、我が朝鮮が独立国であること、および朝鮮人が自由民であることを宣言する」という高らかな一節から始まる独立宣言書は、数万枚が印刷されて全国へ配布され、街頭は「大韓独立万歳」の叫び声と太極旗で埋め尽くされました。

この運動の象徴的な人物として知られるのが、当時わずか16歳だった梨花学堂の女子生徒、柳寛順(ユ・グァンスン)です。学校が総督府によって休校させられると、彼女は故郷の忠清南道天安へ戻り、自ら太極旗を作って市場や村々を奔走。1919年4月1日の並川市場でのデモ行進を主導しました。

両親を現場で憲兵に銃殺され、自身も逮捕された柳寛順は、西大門刑務所での過酷な拷問に屈することなく獄中でも万歳を叫び続け、翌年17歳の若さで命を落としました。彼女の不屈の姿は、民衆抵抗の象徴として現在も語り継がれています。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。