広島原爆ドームと爆心地の距離は、水平距離にしてわずか約160メートル。原爆は建物の東南約160メートル、上空約600メートルに位置する「島病院(現・島内科医院)」の上空で炸裂しました。当時の原爆「リトルボーイ」が放った爆風の初期速度は音速を超え、中心部の地表気圧は数十万気圧に達したと記録されています。周囲の木造家屋はおろか、強固な鉄筋コンクリート建築すら押し潰された極限領域で、なぜこの建物は残存できたのでしょうか。
建築工学および物理学の観点から導き出された原爆ドームが残った理由は、複数の奇跡的な力学的条件の合致にあります。決定打となったのは「爆風が当たった角度」です。爆心地のほぼ直下に近い位置関係にあったため、建物が受けた衝撃波は、一般的な横方向からのなぎ倒す力ではなく、「上空からのほぼ垂直な圧力」でした。
爆発の瞬間、秒速数百メートルに達する猛烈な下降気流が屋根を直撃しました。この時、中央の円形ドーム部分は銅板葺きであったため、数千度の高熱によって銅板が一瞬で融解。さらに爆風の凄まじい下向きの圧力によって窓ガラスや天井材が瞬時に吹き飛びました。この「建物の上下の抜け」が生じたことで、爆風のエネルギーが内部に充満して外壁を外側へ吹き飛ばす破壊圧が低減され、鉄骨の骨組みが気流を垂直に逃がす形となったのです。
耐力を担っていた側面の分厚いレンガ壁は、上からの強大な圧縮荷重に対して極めて高い耐性を示しました。横方向のせん断力には脆弱な石造・レンガ構造ですが、垂直方向からの荷重に対しては石垣のように踏ん張りが効いたことが、壁体の一部が崩壊しながらも直立を保った物理的要因です。
この強靭な骨格を築き上げたのが、チェコ出身の建築家ヤン・レツルでした。1915年に完成したこの建物は、当時の最新技術であった鉄骨とヨーロッパ仕込みの堅牢な組積造(レンガ造)、さらに石材を適所に配したハイブリッド構造を採用していました。軟弱地盤である元安川沿いに建設するため、基礎部分に数千本もの松杭を打ち込んで地盤を徹底強化していたことも、土台が衝撃に耐え切った隠れた勝因として指摘されています。爆心地の被害と残存の真相を探ると、単なる偶然ではなく、ヤン・レツルの堅固な設計思想と物理現象の特異な交差がもたらした結果であることが浮き彫りになります。