悲劇の当事者となった1986年4月8日の朝、事態は彼女が一人暮らしをしていた東京都港区南青山のマンションから始まりました。午前5時頃、部屋から異臭がすることに気づいたマンション管理人と警察官が室内に入ったところ、ガスを引き入れたうえで左手首を切って倒れている岡田さんが発見されたのです。
救急搬送された北野病院(現・神尾記念病院)で手当てを受け、幸いにも命に別条はなかった岡田さんは、午前10時過ぎに現場へ駆けつけた所属事務所「サンミュージック」の専務(当時)に付き添われ、新宿区四谷にあった事務所ビルへと向かいました。この移動中、彼女はひどく憔悴した様子でうつむき、一言も発しない状態が続いていたと記録されています。
事務所の役員室で専務が状況を確認し、社長の相澤秀禎氏が現場へ急行する手配を進めていたまさにその時、岡田さんは「ティッシュペーパーを取ってくる」と言い残して部屋を出ました。そして1986年4月8日午後12時15分頃、サンミュージック本社の屋上(7階相当)から身を投げ、帰らぬ人となったのです。死因は全身強打による即死と発表されました。