作中では、嬴政と楊端和の間にかつての秦王・穆公(ぼくこう)時代に結ばれた不可侵の盟約が語られ、国境を越えた深い信頼関係が築かれています。しかし、古代史における秦国と異民族の力学は、はるかにドライで苛烈なものでした。
そもそも秦という国家自体が、中華諸国からは「西戎の風習を引きずる野蛮な国」と蔑まれてきた歴史を持ちます。秦の初代君主である非子は馬の育成に長けていたことから周王室に仕え、西方防衛の防波堤として領土を与えられたのが興りです。秦は建国以来、西戎諸族と時に凄惨な領土争いを繰り広げ、時にその強力な騎馬軍団を自軍に組み込むことで軍事国家へと成長しました。
『史記』「秦本紀」によると、紀元前7世紀の秦の穆公は、西戎の覇者・由余(ゆうよ)を登用し、西戎の諸部族二十余国を服属させて「西戎の覇者」となりました。この歴史的事実こそが、作中で描かれる「穆公と山の民の固い絆」のモチーフとなっています。
ただし、秦が中華統一を推し進めた始皇帝の時代、異民族に対する国家戦略は「友情」ではなく「徹底的な管理と軍事 동員」でした。匈奴(きょうど)の侵入を防ぐために名将・蒙恬(もうてん)を派遣して万里の長城を修築させた史実を見ても明らかなように、秦にとって異民族は、国境を脅かす脅威であると同時に、自国の軍事力へと吸収すべきプラグマティックな対象だったのです。