音楽仲間から急速に距離が縮まった転機は、デビューから3年が経過した1981年末に訪れます。シングル「September」や「不思議なピーチパイ」の大ヒットにより、竹内まりやは寝る暇もない殺人的なスケジュールに追われ、喉の不調や重度の心身疲弊に追い込まれていました。自身の志向する音楽制作と、テレビやイベントに消費されるアイドル的タレント活動との乖離に苦悩した彼女は、ついに半年間の活動休止を決断します。
芸能界の表舞台から身を引いたこの休業期間中、親身になって相談に乗ったのが山下達郎でした。音楽プロデュースの現場で孤軍奮闘していた山下は、芸能界の不条理やプレッシャーの構造を誰よりも熟知していました。竹内まりやは当時の心境について、後年の雑誌インタビューや特番で「達郎さんは私の話を何時間も黙って聞いてくれた。音楽業界の厳しさを知る彼のアドバイスだけが、唯一の救いだった」という趣旨の告白を残しています。
山下の自宅兼仕事部屋でデモテープを聴き比べ、互いの音楽的ルーツを夜通し語り合うなかで、友情は次第にかけがえのない愛情へと変化していきました。やがて自然な流れで同棲生活がスタートし、1982年4月に正式な結婚へと至ります。
竹内まりやと山下達郎の結婚理由について、竹内まりやは「人間として、そして音楽家としてこれ以上尊敬できる人はいなかった」と語っています。一方の山下達郎にとっても、過酷な音楽業界において虚栄や打算なく、対等に音楽的対話を交わせる彼女の存在は、創作の孤独を癒やす唯一無二の港でした。単なる恋愛の高揚感ではなく、人生の危機を共に乗り越えたことで生まれた「絶対的な安心感とリスペクト」こそが、2人を結びつけた最大の決定打でした。