京都・四条河原町の喧騒からわずか数十メートル、重厚な扉を開けた瞬間に広がるのは、2003年に国の登録有形文化財(建造物)に指定された至高の空間です。喫茶店建築としての登録は全国的にも極めて珍しく、当時の息吹がそのまま残されています。
内装の着想源は、豪華客船のホール。イタリア・バロック様式を取り入れた白漆喰のドーム天井、手彫りの彫刻が施された木製アーチ、ステンドグラスから差し込む柔らかな光、そして深紅の別珍(ベルベット)が張られた椅子が、訪れる者を包み込みます。壁面にはレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」複製画が掲げられ、まるでヨーロッパの小劇場やサロンに迷い込んだかのような錯覚を覚えます。
この美学を形作ったフランソア喫茶室の歴史は、反骨と自由の精神に根ざしています。創業者・立野正一氏が、京都帝国大学留学生であったイタリア人技師アレッサンドロ・ベンキヴェンニや、画家の高木四郎らの協力を得て改装を実施。戦時体制へと傾斜し言論統制が強まる1930年代後半において、自由主義者や芸術家たちが胸襟を開いて語り合える「反ファシズムの砦」「精神の避難所」としての使命を担っていました。吉井勇、宇野重吉、桑原武夫といった錚々たる文化人が集い、文化論や世界情勢を語り明かした痕跡が、この琥珀色の空間には今なお息づいています。