鯉登音之進の人間性を語る上で、絶対に切り離せない存在が従卒・月島基(つきしま はじめ)軍曹です。二人の関係性は、単なる上官と部下という軍隊組織の枠組みを遥かに超越した、本作屈指のエモーショナルな人間関係として読者の胸を打ちました。
当初、月島は鶴見中尉から「お守り役兼教育係」として鯉登少尉に付けられていました。薩摩弁で興奮すると言葉が通じなくなる音之進の通訳を務め、突飛な行動に頭を抱えながら付き従う月島の姿はコメディリリーフとしても機能していました。しかし、その内実には極めて重苦しい影が潜んでいました。
月島は、かつて自らの過失と鶴見の謀略によって愛する人(いご草の女)を奪われ、絶望のあまり「鶴見の劇場に最後まで付き合う」ことでしか己の生を正当化できない、精神的な亡霊と化していたのです。自分の命を平然と投げ出し、どれほど理不尽な命令にも機械のように従う月島。そんな月島の抱える深い闇に、樺太の旅を通じて鯉登は気付き始めます。
決定的な瞬間は、鶴見の嘘を知った鯉登が月島に投げかけた言葉でした。「私を前倒しにして殺すか?」「お前が救われるべきだ」と、己の命の危険を顧みず、地獄へ突き進もうとする月島の襟首を掴んで光の側へ引き留めようと試みたのです。
「鶴見中尉の泥舟」から降りられなくなっていた月島に対し、鯉登は命令ではなく、魂の叫びとして「生きて未来を見届けろ」と訴えかけました。最終的に月島は、鶴見の手を離れて鯉登の専属副官として生涯を共にする道を選びます。傷だらけの二人が互いの欠落を埋め、主従を超えた「互いを救い合う戦友」へと昇華していった絆の深さは、本作の物語を締めくくるにあたって極めて強固な救いとなりました。