沖縄本島中南部の多くの地域は、1945年の沖縄戦によって焦土と化しました。首里城をはじめとする数々の貴重な琉球建築が灰燼に帰したなか、なぜ北中城村の中村邸だけが当時のままの姿を残すことができたのでしょうか。地元に残る証言記録や戦災資料を紐解くと、そこには地理的偶然と占領初期の軍事的事情が複雑に絡み合っていたことが分かります。
第一の要因は、集落を取り囲む自然地形と防風林(フクギ並木・石垣)の存在です。中村家住宅が建つ北中城村大城地区は、周囲を丘陵と豊かな森林に囲まれた谷状の地形にあり、米軍の主攻撃ルートや艦砲射撃の直撃弾から奇跡的に死角となっていました。
そして決定打となった第二の要因が、米軍による軍事拠点・将校宿舎としての接収です。米軍の上陸後、保存状態が極めて優れていた中村邸の豪壮な屋敷構えに着目した米軍司令部は、建物を破壊することなく現地本部および将校の宿舎として即座に利用を開始しました。戦火の直撃を免れ、さらに戦後直後も米軍管理下に置かれたことで、資材略奪や解体を免れたという経緯があります。この運命的な連続によって、1972年5月15日の本土復帰と同時に国指定重要文化財へ指定されるに至りました。