豊浜トンネル崩落事故30年の真相|救助難航の理由と現在残る教訓

豊浜トンネル崩落事故30年の真相|救助難航の理由と現在残る教訓

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崩落の一報を受けた北海道警察、地元消防、そして陸上自衛隊は即座に現場へ急行したものの、坑口から進入した救助隊の行く手を阻んだのは、トンネル内を埋め尽くす見上げるような巨岩でした。この過酷な状況こそが、全国の注目を集めた救助活動の難航理由に他なりません。

現場を指揮した関係者の証言や当時の記録によると、最大の障壁は「二次崩落の差し迫った恐怖」でした。崩落現場の頭上には、いつ落下してもおかしくない数千トン規模の不安定な岩塊がぶら下がっており、トンネル内部で少しでも振動を与えれば、救助隊員ごと生き埋めになる極限状態に置かれていたのです。

大型重機をそのまま坑内に投入して岩盤を破砕・搬出することは物理的に不可能でした。そこで検討されたのが、民間鉱山技術者や発破の専門家を招集してのダイナマイト発破作業でした。しかし、車内に生存者が残されている可能性を考慮すると、強力な爆薬を一度に使うことはできません。「生存者の命を守りつつ、一刻も早く障害物を砕く」という、針の穴を通すような爆薬量の微調整が求められたのです。

作業は慎重を極め、小規模な発破を繰り返しては安全を確認し、手作業と小型重機で破片を掻き出す作業が昼夜を問わず続けられました。坑内には粉塵と排気ガスが充満し、作業員たちは酸素マスクを装着しながら命懸けの作業に従事しました。最終的にバスの車内へ到達し、全犠牲者の収容が完了したのは事故発生から約7日後、140時間が経過した2月16日のことでした。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。