なぜ「疑い」が「利益」になるのか。そのルーツは、18世紀後半のアングロ・サクソン法(英米法)の法廷に遡ります。
刑事裁判における大原則に、ラテン語の法格言「In dubio pro reo(疑わしきは被告人の利益に)」があります。被告人が有罪であるという「合理的な疑いを超える証明(proof beyond a reasonable doubt)」が検察側によってなされない限り、無罪を言い渡さなければならないという近代法の鉄則です。これが英語圏で「疑わしきは罰せず 英語」の定訳として「benefit of the doubt」と呼ばれるようになりました。
裁判において「疑わしい状態(doubt)」が生じた場合、その不確実性から得られる恩恵(benefit=無罪の推定)はすべて被告人に帰属します。この極めて厳格なリーガル・マインドが、19世紀から20世紀にかけて一般社会へ浸透し、「決定的な証拠がないなら、相手を悪者扱いしないでおこう」という対人コミュニケーションの知恵として定着していきました。