鹿児島で過ごしていた就学前の萌音は、自他ともに認める極度の引っ込み思案でした。知らない人の前では母親の後ろに隠れてしまうほど内向的だった少女の心を根底から変えたのが、メキシコ特有のオープンな文化風土です。
当時のインタビューや本人の手記において、萌音は現地での衝撃的な体験を次のように振り返っています。
「街を歩けば、見知らぬ人同士が目を合わせて笑顔で挨拶を交わし、バスの運転手も乗客も大音量の音楽に合わせて陽気に歌い出す。誰もが自分を偽らず、ありのまま感情を表現していた」
失敗を恥じる日本の減点主義的な空気とは対照的に、メキシコには「楽しむこと」「今を表現すること」を最優先する寛容さが満ちていました。母親が主宰する音楽の空気感とも共鳴し、歌やダンスが言語の壁を容易に突破していく瞬間を肌で目撃した経験は、彼女の中に眠っていた自己表現の欲求を大きく解き放ちました。
現地で通ったミュージカルやダンスのレッスン、街角で触れた生きたラテンのリズムこそが、後にミュージカル界の若き実力派として花開く彼女の「歌唱力の原点」となったのです。