「外の人間は地獄のように思っていたようだが、私たちにとっては温かな故郷だった」。砦の解体時まで8階の狭小アパートで暮らしていた元住民の陳氏(72歳)は、穏やかな表情で当時を語る。電気は蜘蛛の巣のように張り巡らされた非合法配線から引き、水は地下井戸から汲み上げるポンプ頼み。消防法も建築基準も存在しない空間で、300棟以上の不法建築が無秩序に連結していた。
しかし、そこには過密空間特有の濃密な人間関係が存在した。郵便配達員は暗号のような番地を正確に読み解いて手紙を届け、住民同士は交代で共同の水汲み場を清掃した。無免許ながら腕利きの歯科医、甘い香りを漂わせるエッグタルト工房、屋上で走り回る子どもたち。法が及ばない無法地帯でありながら、互いの領域を侵さない暗黙のルールが奇跡的な均衡を保っていた。