「別れ」という表現がファンの記憶に深く刻まれた最初の契機は、2013年のシカゴ・カブス移籍に端を発します。海を渡った直後に見舞われた右肘靱帯断裂(トミー・ジョン手術)。過酷なリハビリと度重なる戦力外通告のなかで、藤川家は生活の拠点をめぐる重い選択を迫られました。
当時、藤川監督は異国のプレッシャーから家族を守るため、そして子どもたちの教育環境を守るため、一時的に家族を帰国させて単身でリハビリとマイナー契約に耐える期間を過ごしました。この時期の心情について、後の特番インタビューで「自分が投げる姿を子どもたちに見せられない悔しさと、離れて暮らす寂しさが一番堪えた」と吐露しています。
さらに2015年の独立リーグ・四国アイランドリーグplus「高知ファイティングドッグス」への入団でも、家族との距離が試されました。地元・高知の実家に身を置き、無給契約で再起を期した期間、妻と子どもたちは生活拠点のあった関西に残る形となりました。「故郷への恩返しと現役復帰」を最優先にしたこの決断は、美談であると同時に、父親としては愛する我が子と日々を共有できない「耐乏生活」を意味していたのです。