柴田理恵さんが創価学会の門を叩いたのは、1987年1月のことでした。この時期は、彼女の人生における最大の試練期と重なっています。
1984年、演出家の喰始さん、佐藤正宏さん、そして久本雅美さんらと共に劇団「WAHAHA本舗」を旗揚げ。しかし、結成当初の劇団員たちの暮らしは凄惨を極めました。チケットは売れず、舞台美術の費用すら捻出できない日々。柴田さん自身、家賃の支払いに困窮し、米すら買えずに水道水で空腹を紛らわせるような極貧生活を送っていました。将来への強烈な焦燥感と舞台人としての不安が、彼女の精神を限界まで追い詰めていたのです。
その苦境の最中、救いの手を差し伸べたのが一足先に1984年に入会していた久本雅美さんでした。久本さんは自身が信仰によって劇団生活の困窮を乗り越えつつある姿を見せ、「理恵ちゃん、絶対に人生が開けるから」と熱心に折伏(勧誘)を行いました。誰よりも苦楽を共にし、才能を認め合っていた盟友の言葉だからこそ、柴田さんの頑なな心は解きほぐされました。人生のどん底で掴んだ藁こそが、彼女にとっての創価学会だったのです。
一部で「WAHAHA本舗は宗教劇団なのか」という誤解が囁かれることもありますが、劇団自体は純粋な過激エンターテインメント集団であり、宗教団体とは何ら関係がありません。しかし、黎明期の屋台骨を支えた看板女優2人が共通の信仰で固く結ばれていた事実は、劇団の初期ヒストリーを語る上で欠かせない要素となっています。