現場で直接作業にあたっていた3名の作業員は、至近距離から桁外れの放射線を浴びました。東海村臨界事故の被曝線量はシーベルト(Sv)換算で、大内久さんが約16〜20グレイ当量(約16〜20Sv以上)、篠原理人さんが約6〜10グレイ当量(約8〜10Sv相当)、別室で指示を出していた横川豊さんが約1〜4.5グレイ当量と推定されています。一般人の年間線量限度が1ミリシーベルト(0.001Sv)であることを考えると、大内さんの被曝量は致死量を数倍上回る天文学的な数値でした。
放射線治療の現場で医師団を絶望させたのが、東海村JCO臨界事故による染色体破壊でした。東京大学医学部附属病院に緊急搬送された大内さんの骨髄細胞を顕微鏡で観察したところ、本来46本あるはずの染色体がバラバラに断裂し、配列が完全に破壊されていたのです。
東海村臨界事故の被曝症状は、時間とともに容赦なく進行しました。染色体が失われたことで新しい細胞を作ることができなくなり、まず白血球数がゼロ近くまで激減。続いて皮膚や消化管粘膜の再生が止まり、皮膚が剥がれ落ちて大量の体液が滲出する状態に陥りました。大内久さんの治療記録には、末梢血幹細胞移植や皮膚移植、あらゆる先端医療を総動員して命を繋ぎ止めようとした医師団と看護師たちの壮絶な日々が克明に刻まれています。