1978年当時、西城秀樹は23歳。情熱的なアクションとエネルギッシュなロックナンバーでトップアイドルの座を確立していた彼に対し、制作陣は「大人の本格派シンガーへの脱皮」を強く求めていました。そこで阿久悠が提示したのが、従来のアイドルの枠組を完全に破壊する重厚な愛の叙事詩でした。
関係者の回想録や音楽ドキュメンタリーの証言によると、阿久悠から届いた重厚な歌詞を受け取った作曲の馬飼野康二は、そのスケール感に見合うメロディを構築するため、クラシック音楽の手法を取り入れたシンフォニックなアレンジを企図しました。ピアノの静かなイントロから始まり、ストリングスと金管楽器が重なって怒濤のサビへと登り詰める展開は、まるで一本の壮大な映画を観ているかのような劇的構造を持っています。
レコーディング現場では、西城秀樹の並外れた集中力と感情移入がスタッフを圧倒しました。単に綺麗に歌い上げるのではなく、胸をかきむしるような切迫感と男の哀愁を声に宿らせるため、テイクを重ねて限界まで表現を突き詰めたと伝えられています。