「草津市 佐山組」という名称が公の記録に刻まれた決定的な契機は、1986年(昭和61年)11月に端を発する地方政治のスキャンダルでした。当時の日本共産党滋賀県委員会や草津市議会の公式記録によると、草津市の高田市長(当時)ら市幹部が、市内に拠点を置いていた山口組系暴力団「佐山組」の佐山利次組長と市内の料亭で会食していた事実が市議会で暴露され、大きな政治問題へと発展しました。
当時の報道や議会答弁の記録によれば、市長側は会食の事実そのものを認めており、行政のトップと暴力団幹部との不明朗な関係は、市民や議会から猛烈な批判を浴びることとなりました。この事件こそが、新聞各紙の社会面を飾り、「草津市」「佐山組」という文字列が人々の記憶と活字メディアに刻み込まれた原点です。
その後、バブル崩壊と暴力団対策法(暴対法)の制定、そして全国的な暴力団排除条例の施行に伴い、関西圏の暴力団勢力図は激変しました。滋賀県内の裏社会勢力は、淡海一家(大津市を拠点とする山口組直系組織)などへの再編や統合、あるいは壊滅的な打撃を受けて衰退の一途を辿りました。かつて草津市内に事務所を構えていた佐山組も、時代の変遷とともに実体組織としては消滅し、2026年現在においては過去の歴史的事件の記録としてのみその名を残しています。