北条時行の位置づけを理解する上で欠かせないのが、鎌倉幕府を牛耳った北条得宗家の家系図です。時行は第14代執権・北条高時の遺児であり、兄には幕府滅亡時に処刑された北条邦時がいます。正統な得宗後継者としての血脈は、武家社会において絶大な正統性を誇っていました。
中先代の乱で鎌倉を奪還した時行でしたが、その栄華は約20日間で暗転します。京都から出陣した足利尊氏自らが率いる大軍の前に敗北を喫し、諏訪頼重らは自刃。時行は再び行方をくらまし、過酷な潜伏生活へと戻ることになります。
表の推移からも明らかな通り、時行の驚くべき点は「かつて父を死に追いやった仇」である後醍醐天皇(南朝)と結託した点にあります。尊氏が後醍醐天皇に背いて武家政権(室町幕府)を樹立しようとすると、南朝と北条残党の利害が「反足利」で一致。1337年には正式に南朝から朝敵除免の綸旨を受け、北畠顕家らと共に戦う正規軍の武将として復権を果たしました。