北条時行の史実と壮絶な最期!足利尊氏を追い詰めた知られざる真相

北条時行の史実と壮絶な最期!足利尊氏を追い詰めた知られざる真相

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北条時行の位置づけを理解する上で欠かせないのが、鎌倉幕府を牛耳った北条得宗家の家系図です。時行は第14代執権・北条高時の遺児であり、兄には幕府滅亡時に処刑された北条邦時がいます。正統な得宗後継者としての血脈は、武家社会において絶大な正統性を誇っていました。

中先代の乱で鎌倉を奪還した時行でしたが、その栄華は約20日間で暗転します。京都から出陣した足利尊氏自らが率いる大軍の前に敗北を喫し、諏訪頼重らは自刃。時行は再び行方をくらまし、過酷な潜伏生活へと戻ることになります。

合戦・出来事(年)時行の陣営・戦況対戦相手・敵勢力歴史的影響・評価中先代の乱(1335年)諏訪軍・北条残党を率い信濃から挙兵。鎌倉を奪還(約20日間支配)足利直義(敗走)
足利尊氏(本隊襲来で敗退)建武政権崩壊の直接の引き金となり、足利尊氏の離反を決定づけた青野原の戦い(1338年)後醍醐天皇から赦免を受け南朝軍(北畠顕家軍)の先鋒として奮戦足利方の高師冬・桃井直常ら北朝軍幕府を滅ぼした仇敵である「朝廷」と結ぶ超現実的な軍事再編を完遂武蔵野合戦(1352年)新田義興・義宗らと共闘し鎌倉を再度奪還するも、尊氏の反撃で撤退足利尊氏・足利義詮観応の擾乱の隙を突いた最後の大規模軍事行動。ゲリラ指導者としての頂点

表の推移からも明らかな通り、時行の驚くべき点は「かつて父を死に追いやった仇」である後醍醐天皇(南朝)と結託した点にあります。尊氏が後醍醐天皇に背いて武家政権(室町幕府)を樹立しようとすると、南朝と北条残党の利害が「反足利」で一致。1337年には正式に南朝から朝敵除免の綸旨を受け、北畠顕家らと共に戦う正規軍の武将として復権を果たしました。

中川 明日香
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中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。