発端は長野県の製材所に勤務していた宮下太吉らが爆裂弾を試作した計画だった。現体制への激しい不満から企てられた密謀ではあったが、それは極めて小規模で拙烈な試みに過ぎなかった。しかし、治安当局はこの好機を逃さなかった。単なる一部過激派の暴走にとどめず、大日本帝国の中枢を揺るがす「大逆罪」のフレームワークへと強引に拡大解釈したのである。
当時の政府と警察組織は、反政府運動の象徴であった社会主義勢力を根絶やしにする千載一遇の好機とみなした。国家の絶対的象徴であった明治天皇への暗殺計画という名目は、いかなる人道的な異論も封殺する最強の武器となった。証拠の捏造と強引な取り調べが全国で横行し、事件は瞬く間に巨大な冤罪劇へと仕立て上げられていった。