1945年8月17日、東久邇宮内閣が誕生した。しかしその裏側では、内閣官房や旧宮内庁の前身組織を巻き込んだ凄まじい攻防が繰り広げられていた。ポツダム宣言受諾後の本土では、敗戦を受け入れられない陸軍将校による叛乱の企てが水面下で蠢いていたからだ。
降伏文書への調印と数百万の陸海軍の武装解除という過酷な任務を遂行するため、昭和天皇の親族であり陸軍大将でもある彼の威信が必要不可欠だった。就任直後に発表した「一億総懺悔」というスローガンは、後年大きな議論を呼ぶことになるが、当時は国内の暴動を防ぎ、国家の空中分解を回避するための苦渋の決断だったという秘話が残されている。