語源の歴史を紐解くと、両者が社会から向けられる視線のギャップが明確に浮き彫りとなります。日本における皮膚への穿刺着色は、縄文・弥生期の文身(アズミ族などの呪術的・身分標識的な装飾)にまで遡りますが、現代に続く否定的なスティグマを決定づけたのは刺青の歴史と江戸時代の刑罰です。享保5年(1720年)、徳川吉宗による享保の改革において「入墨刑」が法制化され、窃盗や重罪を犯した罪人の腕や額に前科を示す記号が刻まれました。
しかし、江戸後期になると、身体を張る鳶職や火消し、飛脚たちが自らの勇猛さや美意識を誇示するために、刑罰の記号を覆い隠すように『水滸伝』の英雄や龍・虎を背中一面に描く「彫り物」が大流行します。これが現代の和彫りの原型です。明治維新を迎えると、新政府は欧米列強への体面を保つため「違式詿違条例」によって彫り物を厳しく禁止しました。皮肉にも、英国のジョージ5世やロシアのニコライ2世が来日時に日本の職人から龍の彫り物を施すほど海外での芸術的評価は高まりましたが、国内では敗戦後の昭和23年(1948年)まで非合法なアンダーグラウンド文化として地下に潜ることを余儀なくされました。
一方の「タトゥー(Tattoo)」は、ポリネシア諸語で「叩く」「印をつける」を意味する「タタウ(Tatau)」を語源とし、18世紀に探検家ジェームズ・クックが南太平洋から持ち帰ったことで欧米の船乗りや軍人の間で拡散した海洋文化です。ロックカルチャーやヒップホップ、ハリウッドセレブリティの発信を通じて、1970年代以降に自己表現のファッションとしてグローバルに再定義されました。
日本国内の法的扱いをめぐっては、長年にわたりグレーゾーンとされてきましたが、歴史の転換点となったのが彫師の医師法違反裁判と最高裁判決の経緯です。2015年、大阪府の彫師が増田太輝氏が「医師免許を持たずに客にタトゥーを施した」として医師法第17条違反で略式起訴された事件に端を発します。一審の大阪地裁で有罪判決が下されたものの、被告側は「タトゥーは憲法が保障する表現の自由や職業選択の自由に関わる歴史的・芸術的行為であり、医行為ではない」と徹底抗戦。2020年9月、最高裁判所第二小法廷は検察側の上告を棄却し、「タトゥー施術は医療及び保健指導を目的とする行為ではなく、医師免許を要求する医行為には当たらない」として無罪判決を確定させました。これにより、施術そのものの法的な正当性は確立されるに至りました。