平清盛の死因はマラリアか敗血症か?謎の熱病と壮絶な最期の真相

平清盛の死因はマラリアか敗血症か?謎の熱病と壮絶な最期の真相

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平清盛の最期といえば、軍記物語『平家物語』巻第六「築島」や「入道死去」に記された凄惨を極める描写が広く知られています。熱病に倒れた清盛の身体はあたかも火を焚いたように熱く、周囲数間(数メートル)以内に近づくだけで熱気を感じるほどであったと伝えられます。比叡山から汲んできた冷水を満たした石の風呂に清盛を浸したところ、水はたちまち沸き立ち、たちまち湯煙を上げて蒸発したという、いわゆる「あつち死(悶絶するほどの高熱による死)」のエピソードです。

文学的な誇張が含まれているとはいえ、同時代の一級史料である公卿・九条兼実の日記『玉葉』にも、緊迫した発病の推移が記録されています。『玉葉』治承5年2月25日条および閏2月1日・5日条の記述を照合すると、清盛は治承5年2月23日に発病し、わずか10日余りの経過をたどって閏2月4日に死去しました。日記には「熱病」によって人事不省に陥り、飲食物を一切受け付けなくなった生々しい病状が記されており、清盛が激烈な高熱を伴う急性疾患によって急逝したこと自体は揺るぎない歴史的事実です。

清盛の没年齢は享年64(満63歳)。当時としては長寿の部類に入りますが、前年に南都(東大寺・興福寺)を焼き討ちにした直後だったことから、世間はこの異様な高熱死を「東大寺大仏殿を焼亡させた仏罰」「南都の僧兵や怨霊の祟り」と恐れおののきました。中世の人々は、原因不明の猛熱と激痛に悶える権力者の姿に、仏教的な因果応報の具現化を見出したのです。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。